みなさんこんにちは。
今日もイクメンしてますか?
サカモトフタマ(@sakamotofutama)です。
突然ですがみなさんは虐待ってしたことありますか?
ないに決まってるだろ!
とお叱りの声が聞こえてきそうですが、僕も虐待はしたことがないと思っています。
思っていますというのは、こんなことがあったからなんです。
この記事で伝えたいこと
虐待者であることを医者から告げられる
前にサカモト家がアデノウイルスで一家全滅したお話しをしました。
その際に僕も極悪ウイルスアデノの野郎におかされてしまい、病院送りになったのですが、その際に医者とこんなやりとりがありました。
…
はぁ。
そのあともつらつら言われたのですが、まぁタバコが体に害があることは理解しています。
一応子供がいる日中は一切吸わずに子供が寝てからキッチンの換気扇のしたで数本アイコスを吸っていただけ(ちなみに現在はもう吸っていません)なので、まかり間違っても子供に煙は吸わせていないのですが、ワザワザ説明する気にもなれず、わかりましたー、と帰ってきました。
自分が虐待者と認定されたことに驚きを隠せませんでした。
これも虐待なんだ。
ていうか虐待ってなに?
虐待の定義
虐待(ぎゃくたい、英:abuse, maltreatment)とは、むごい扱いをすること。繰り返しあるいは習慣的に、暴力をふるったり、冷酷・冷淡な接し方をすること。
具体的な内容は様々で、肉体的暴力をふるったり、言葉による暴力をふるったり(暴言を浴びせたり、侮辱したり)、いやがらせをしたり、無視をする、等々の行為を繰り返し行うことを言う。
出典:Wikipedia
子供に対するものだけではないのですね。
子供に対するのは特に児童虐待というらしい。
大きく分けると、
暴力による虐待
言葉の暴力による虐待
経済的な虐待
無視も虐待だそうです。
しばしば報道がされる虐待のニュースは大変痛ましく、亡くなってしまった子供のことを考えると、なんとも言えないやりきれないきもちになっていました。
自分の身勝手な欲望で子供に地獄の苦しみを与え、拷問し、泣いて許しを乞ういたいけな子供を殺す。
抵抗もできない、無力な子供を。
そんな人間は人間の形をした別の生き物だと、少なくとも人の親たるべき生き物ではないと、強い怒りを感じていました。
子供は親を選べません。
きっと間違った親のところに生まれてしまったかわいそうな子供を、神様が引き取って正しい親のところに連れていってくれたに違いない。
そんなふうに思うようにしていました。
目黒区の虐待事件の直後ということもあり、そんな気持ちでいたところ、僕も虐待親といわれてしまいました。
躾(しつけ)との違い
目黒区の虐待やあからさまな暴力、ひどい言葉による侮辱、あからさまな無視、性的虐待、食事を与えないなどの虐待。
これらはとてもわかりやすい虐待だと思います。
許されないことです。
問題になってくるのは親が虐待をしていると気づいていないケースもあるということです。
例えば、今回で言えばヤブ医者から言えば僕は虐待親ということですが、僕はそんなことは夢にも思っていませんでした。
僕が子供の頃なんて、大人はみんなタバコを吸ってるのが当たり前でしたから、子供の目の前で紙巻きタバコをスッパスッパ豪快に吸っていて、子供の頃の僕も豪快に副流煙を吸っていました、毎日。
ヤブ医者の理屈では毎日集団虐待を受けていたことになります。
でも、当の自分もさることながら大人達もそれが当たり前でしたから、誰もそんなことは思いません。当たり前ですよね。
こういう場合は虐待にはあたらなそうです。普通の感覚では。
こんなくだらない事例はさておき、問題になるのは「虐待としつけ」の境目がどこなのか?
ということです。
感情で叱ってはいけない、とよくいいます。
感情で叱ったら虐待になるのでしょうか。
感情をぶつけてはいけない、とはよくいいますが、親も人間です。
僕のような仕事の合間だけ育児をやってるような人間でさえあたまにくることが山ほどあるのに、四六時中子供と向き合っているママさん、いや、ママ様方があたまに来ないわけがありません。
たまにヨメが借りてきた育児本をさらっと見たときに、
「感情で怒ってはいけない」
「子供のやることには意味が…」
などなどやたら親に我慢を強いることが書いてあるのを見るたびに、
と呆れることがあります。
だいたいそんなとき著者をみると若い独身の男性の心理学者や医者だったりして、お前になにがわかんねんという気持ちになっちゃいます。
全然響かん
刺さらんナー
時には感情で怒ってもいいとは個人的には思うんですけどね。
機械相手にしてるんじゃなくて、人と人とのコミュニケーションなので、感情でぶつかってもそれも勉強になるのでは?
こういうことを言うと人は怒るんだなってわかった方が絶対いいと思うんですよね。
そう考えると、
感情で怒る=虐待
は成り立ちません。
考えるほど、しつけと虐待のボーダーラインて難しいと思いました。
しいて挙げれば、
子供に害を与えようと意識して行ったことは虐待。
子供に(将来の)利益を与えようとして行ったことはしつけ。
ということでしょうか。
それもまた絶対ではなさそうですね。
最後に
なんだかとりとめのない記事になりましたが、今回改めて「虐待」というものを考えたときに、客観的に指摘してもらえる環境が大事なのではないかな、と思いました。
なかなか自分だけでは感情的にもなってしまいますし、冷静な判断ができないと思います。
はじめは「しつけ」だったのがいつの間にか「虐待」になってしまうことがあるかもしれません。
境目がわかりにくいだけに自分一人では気付けないかも。
そういうときに指摘してあげられる周りの目、というものが大事なんじゃないかなあと感じました。
親や配偶者からの助けが得られない方やシングルの方がワンオペ育児になり、孤立してしまうのが最も危険な気がします。
もし、虐待の可能性があるような状況をみつけた方は全国児童相談所ダイヤル、189(いちはやく)にご相談ください。
僕も時折自分の行動を見直して注意を払うようにしたいと思います。
今回はあまり考えたくない話題でしたが、いい(いいか?)きっかけだったので改めて考えてみました。
考えるきっかけをくれてありがとうヤブ医者。
僕が全然育児に向いていないという記事です。