今日も妻の恐怖に怯えながら縮こまって生活しています。
長男にまでバカにされはじめたサカモトフタマです。
こんにちは。
最近はオリラジ中田あっちゃん夫婦の話題を取り上げることがあったり、育児過労死の問題についても検討していますが、今回は根本的原因とも言える「夫婦喧嘩」について考えてみます。
お恥ずかしながら、僕の家庭では非常に夫婦喧嘩が多くて、3ヶ月から4ヶ月に一回火山が爆発したような喧嘩になります。
ちょうど先日も火山が噴火したこともあって、いい加減これではいけないと思って分析を試みます。
このままいくと、最悪、別居だの離婚だのまでいってしまうところまで来ています。
なんだか夫婦喧嘩がたえない、毎回同じような理由で喧嘩になって歩み寄ることが難しい、もう離婚したほうがいいのかな?と不安に思われている方はちょっとこんな考え方はいかがですか?
気持ちが楽になって今の生活を続けることができるかもしれません。
ポイントは「あきらめること」です。
価値観の相違を認められるか
人間の感情の根底にあるのは「自分が正しい」「自分が普通だ」そして、思い通りにしたいという願望です。
自分が間違ってるのはわかってる、という場合はいざこざはすんなり解決することが多いのではないでしょうか。
うまくいかない場合は大抵、「相手がおかしい」「第三者に見てもらえれば自分が正しいと言ってもらえるはず」という感情になってはいませんか?
自分の育った環境では当たり前のことだったり、友人からの情報であったり。
そうやって人の「常識」は作られていきます。
しかし、育った環境も違いますし、あなたのアドバイザーは大抵あなたの常識に寄せて意見をしますので、そのようにして作られたあなたの「常識」はあなたのパートナーにとっては「非常識」であることが多いんです。
ここに気付けるかどうか。
しかし、本当に問題を解決するためには「どちらが正しいのか?」「どちらが常識はずれなのか」という問題の答えを探してはいけません。
そんなことはどうでもいいのです。
本当の問題は「いま、たった今、パートナーと価値観の相違が発生していること」を理解すること、そして、「自分の常識を曲げて相手に合わせることができるかどうか」ということです。
どっちが間違ってるか?なんてことを考えている内は問題は絶対に解決しません。
たまるストレス
「自分の常識を曲げて相手に合わせることができるかどうか」
なんて、軽々しく言いましたが、これは相当に困難なことです。
そのときは喧嘩をやめたいし、通常の生活に戻りたい一心で、相手に合わせようと思うかもしれません。
しかし、そうやって無理矢理心を押し殺したことは、絶対にあなたの心の中に焼き付いてこびりつきます。
そうやって少しずつ心の奥底に、焦げ付いたフライパンのようにだんだんたまっていくんです。
確実に。
お恥ずかしながら僕の場合を例にあげると、妻が恐いので怒られないように毎回我慢をして妻の顔色をうかがっています。
おおよそ言いなりになっていると言っていいと思います。少なくとも僕はそう思ってます。
でも、その我慢したことは確実に意識の底にたまっているのです。これは無意識です。
そして一定パワーがたまった段階で地震が起きるようにドカーンと切れてしまうんです。
なにか具体的な例をあげたほうがいいと思いますが、飲み会なんてよく夫婦喧嘩の種になりませんか?
先日のことですが、僕が友人と飲みに行った次の日の朝のことです。
次男が生まれてからというもの本当に忙しく、プライベートで飲みに行ったことはありませんでした。
本当は行きたかったんです。
親しい友人から一年ぶりに集まろうと誘ってもらったり、同窓会があったり。
行きたかったんですが行けませんでした。
最近ではあまり誘われることもなくなりました。
そんな状況で、でもやっと少し時間がとれそうになってきて、でも約束したとたん子供が風邪を引いたりして、延期して、頃合いを見てやっと行けて、一年ぶりだしちょっと飲み過ぎて、みたいな状況でした。
22時くらいに帰宅すると、妻は猛烈に怒ってるんです。
そして翌日の朝。
飲みに言って子供二人の世話をしてやったのにありがとうもなしか。
そして、二日酔いで起きてこないんか?
その後もネチネチ言ってきます。
何を食べた?いくらだった?普段ケチ臭いくせに自分はいいんか?あーうらやまし。ワタシも行きたいわ。
黙って次男の食事介助をしていた僕ですが、我慢の限界でプルプルしてきてキレました。
その後は文章にするまでもないカオスです。
妻の主張は飲みに行かせてやってその間子供二人の世話をしてやったのに感謝の言葉もないとは何事だ。
あなたが飲みに行ったんだから平等に私も飲みに行けるべきだ。
ということでイライラしています。
僕の主張は、一年も我慢して、やっと、やっと友人と飲みに行けたんじゃないか。
少し飲み過ぎてしまったがしょうがなくない?
なんでそんなに責められなきゃいけないの?
感謝の言葉っていわれても最初から怒ってるやんけ。怒ってる相手にはありがとうではなく申し訳ありませんでした、っていうのがすじなんだろうが、なに?あやまるん?俺あやまらなあかんの?
こんな感じです。
絶対折り合い付かないですよね。
相手の行動を改めさせようとするとうまくいかない
誰だって理想の妻像、夫像というものがあって相手にそれを求めます。
自分の思ったように相手が行動してくれないから頭にくるんです。
僕も普段は表面上妻の言いなりですが、生活が苦しいこともあって、光熱費を節約しようとしたり、極力無駄な出費を抑えようと思っています。
しかし、妻はお金の心配など全然していませんから、水はじゃあじゃあ、無駄な小物を買ってくるなどイライラしてしまうことも多いのですがケンカになるので我慢しています。
反対に強引に相手をねじ伏せているといつか(定期的に)ねじ伏せられている相手が爆発しカオスと化します。
あきらめるということ
最近のケンカで本当に限界を感じてしまった僕は危機感を覚えました。
これでは本当に離婚だ。
そこでこんな風に考えるようにしました。
「すべてをあきらめる」
所詮、相手は他人です。血もつながってないし、育った環境も違うんです。どだい同じ感覚になってもらうなんて無理なんです。
自分の理想の生活、家庭なんてものは無理なんです。
僕の妻なんて所詮この程度のものだ。僕が思う理想の妻なんかじゃない。
同時に妻にもこういう考え方になってほしいと思っています。
私の夫なんて所詮この程度しかできないポンコツなんだ。あきらめよう。
ひどい言い方かもしれないけれど、価値観がずれすぎていてこうでも思わないとやっていけないんです。
相手を変えることは難しいとよくいいます。
だから、今の相手を受け入れなければならない。
どうしても頭にきてしまうのを防止するために「あきらめる」んです。所詮この程度なんだと。
まとめ
あきらめるなんて、そんな方法は良くない!夫婦はもっと話し合ってぶつかり合ってお互いの信頼関係を構築して…
はい、できそうな方はそうしてください。その方がいいと思います。羨ましいです。
でも、世の中にはそこまで歩み寄れないほど価値観がずれてしまっている夫婦もいるということです。
そういう意見もあると思います。
でも、どうなんでしょうね。それで子供と離ればなれになって生活する方がいいのかどうか。
そういう議論もありますよね。
普遍的な正解なんてない話ですので、そんなやつもいるんだなということで。
…。
みなさんは仲良くやってますか(笑)
そもそも僕は子供が苦手で育児がへたくそで家庭向きではないんです。という記事。
育児の問題についてオリラジの中田あっちゃんの意見についてあーだこーだいっています。
オリラジの中田あっちゃんの意見について妻サイドの意見。